CCC(カルチュアルコンビニエンスクラブ)創業者 増田宗昭氏から学んだ大事なこと②

「どうしたら、他者とは異なる視点、異なる方向性の企画を発想できるのか?」

これも答えはシンプルだけど、お客様の立場で考えればいい。
例えば商品が受け渡される場所を売り場と呼んでいるようではダメだと思う。
販売者の側からしか見ていないことがバレバレで、しかも本人にその自覚がない。
消費者の視点に立てば、そこは買い場と呼ぶべきでしょう。(知的資本論/増田宗昭)

 

増田社長の言葉の節々が、自分の脳みそをこれでもか、と刺激してくる。

シンプルでありながらこの考えさせられる言葉。

何が違うかというと、おそらく四六時中、恐ろしいほどに考えまくっているに違いないと推察される。

それは時として苦しいかもしれない、でも辞めずに、いや止めることができずに考え続けてしまうのだろうな。

そう読み解いた。その結果の、捻出された増田宗昭というフィルターを通して生み出された価値ある言葉と捉えた。

ありがたがる気が無くとも、すーっと体に水のように浸透してきたこの言葉たちだった。

故にありがたがる気がないのにも関わらず、この言葉に出会えたことに感謝せざるをえない状況を作り出した。

それは自然すぎてその感覚がないくらいに

こちらの中にまるで、純度の高い水のように入ってきては、脳内の異物を違和感という感覚によって

取り除こうとしてくる状態を喚起した。

研ぎ澄まされた思考が生み出した言葉は最終的にシンプルであり、その細部に宿る価値観を破壊しかねないニュアンスによって

その普段は確認できるのかもしれない。

ブルーハーツが、

気が狂いそう 優しい歌が好きで ああ あなたにも聞かせたい

とただただ、単純な言葉でその思いを綴っただけだったにも関わらず

パンクロックで表現される優しい歌(パンク)が好きだという気持ちを表す歌詞を凌駕したように。

プロ野球選手が、キャッチボールをしただけでその選手がどれだけのことをしてきたか、素人目にはわからなくても、

その当人たちには隠しても見えてしまうように。


前回の続きとしてデザインという言葉が持つパワーについて触れてみた。

例えばよりよいデザインを追求することに関して、よく付加価値を高めるため、といった言い方がされることがある。

曰くデフレ時代にあっては、低価格競争に巻き込まれない、高付加価値の商品を作り出すことが大切だ。だからデザインは重要なのだ、

といった具合に。しかし、商品にとってのデザインを付加価値と捉えている点でもうダメだろう。

すでにその思考は現実から乖離しているのだ。いかにももっともらしい言い方だが、それはすでに先入観のカタマリだ。

付加価値----それは簡単にいってしまえばおまけということだろう。

商品の本質的価値ではなく、それに付け足されるもの、といったニュアンスがそこにはある。

しかしいま、商品にとってデザインとは、決しておまけ的要素などではありえない。それは本質に深く根ざした価値なのだ。

モノとは2つの要素からできている。一つは機能、そしてもう一つはデザインだ。

なんでもいい、試みに何か一つのモノを取り上げてみよう。

そう、例えばグラス。液体を入れておくというのが機能で、持ち手のないガラス製というのがデザイン。話が少し哲学めくが。ほぼ同じことを

アリストテレスも言っている。この古代ギリシャの哲学者は、あるものに性質を与えるのが形相、その物の素材が質料であるとし、

この両者はわかつことができないと説いた。

実際、現代の商品においても、その声質を決定する機能とその外観を構築するデザインは、不可分なものであって、そのどちらかがかけても、それは

商品としては存在できない。デザインは付加価値とうそぶいてはばからないのは、一つには、こうした物の成り立ちという点に関して

真剣に想いを巡らすことをしてこなかった人ではないかと思う。

そしてもう一つ、これからは自らもデザイナーにならなければ生き残れないという危機感を持つことのできない人は、時代認識に甘さがあるのではないかとも感じる。

デザインは専門のデザイナーに任せればいい、などという態度はこれからは通用しないのだ。

デザインが商品の本質である以上、そこにコミットできないスタッフはすでにビジネスにおいては無用の長物だ。(知的資本論/増田宗昭)

つまりはデザインは本質であって、機能とともに必然的に無視のできないものなんだ。

これは、私の価値観であった「デザインは二の次」を、崩れさせた。いい意味で。

増田社長は、このことが現実的ではないと言っています。デザインが必要ないと言っているその言葉の中に、

いやでもデザインは入ってきてしまうのだ、と。

これが本質かどうかは、私にとってはあまり重要ではなく、単純にこの思考喚起がたまらなく刺激的だ。

こんな考え方があったんだ、と。そして、それがどうやら本質のように(少なくとも現時点では)見える。

デザインを無視できない時代になるのは、これは何の根拠もないが肌感覚でとにかくよくわかる。

誰にも言われてないけど、空気にそう言われている気がしてしょうがないのは、

人間の言語能力で表現できない潮流が、常に時代の中に存在しているからだと思います。

感覚とロジックで判断していくのが、最近の生き方のようになってきているけれど、

感覚がまずあって、ロジックがあって、両方使いこなして初めて楽しく生きられるんじゃないか。

どちらか一方では見失なう。大事なものを、大事だと認識せずとも大事であると感じている事実。

それらによって、人間関係の信頼はよく表現されると思われます。


今更ではございますが、最近ではアドラー心理学を知りました。

まださわりだけでしかないのですが、

本質へのアプローチ方法がそこには書いてあり、その感覚に近いのが

増田社長のこれらの言葉です。

本質から、それてはいけないな、と改めて思いました。

なぜなら、最終的に遠回りになるからです。

時として、それが圧倒的な近道のように見える。本質からそれていると知りながら、

そっちの方が早そうに見える。

行ってみる。

そこには何もなく、また後戻りすることに。


こんなことを繰り返していくうちに、恐怖を克服し本質に触れる勇気こそが、人生を切り開いていく最初の一歩じゃないかと思い始めました。

そんな中での今回の著作は、私にとってのキラーコンテンツでした。

まだまだ読み解きたい言葉だらけであり、これらを読み解いていけば一体いつになったら終わるんだろうか、と思いますが

続けていきます。

というか、増田社長に会えるまでやります。お会いできたら辞めます。

③に続く

kousukearai

投稿者プロフィール

1987年3月18日生まれ。魚座、B型。
群馬県館林市出身。
國學院大学文学部卒業。現在、大阪・梅田在住。
株式会社ARIAという会社で勉強カフェ大阪本町/大阪うめだを運営中。
向上心ある大人たちが気持ちよく過ごせる空間作りを日々探求中。

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