8月になりましたね。

あっという間に7月が終わりいよいよ8月に入りました。

2週間前を思い返したら、はるか遠く昔のようなくらい毎日が密度濃いです。

第3回目であるコミュニティスペース運営者勉強会を開催させてもらったり

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中央会計さんとのご縁をいただき、セミナーを開催させてもらったり

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歴史書に目覚めたり

地政学が面白いなと思ったり

世間ではポケモンGOが流行り始めたり

ブレクジッったり。

都知事が決まったり。

8月は何よりも大好きな夏がやってきて、ピークを迎えることが嬉しくもあります。


まずはポケモンGOのはやり方が異常だなと、冷静に見ています。

先日も夜中に公園に行ったら、自転車で通れないくらいの人がいて、

ちょっとこれは、人の行動がこれほどまでに簡単に統制されやすいものか、とある種の発見というか、

人心の掌握されやすさに開発側の歓喜を想像しました。

これが、ポケモンGOという、基本的には危害なき構成で成立しているものであるからいいのですが、

仮にこの方式で例えば「盗み」や「迫害」を、人心のメカニズムを利用して世界全体に浸透させた場合に、

とても恐ろしい空気が世界を包み込む、のが容易に想像されました。

私自身は、生まれてから中学生ぐらいまで、ドがつくほどのゲーマーだった故に、そこで

ゲームの楽しさも知りましたが、同時にそれ以上の虚しさも経験しているため、もう二度とこのような

ゲームと呼ばれる類のものにハマることはないでしょう。ゲームインポです。

よって、今回のポケモンも例外ではなく、

「あ、楽しいかも」と思うのは最初の5分程度で、それ以降は絶対的なあの頃に経験した

「レベル99以上にはキャラは強くならない」というシステムに完結した広がりのない世界への

閉塞感を思い出してしまい、簡単に言うと飽きてしまいます。

ハマるとすれば、ユーザー同士で対戦できるようにしてくれないですかね。

そしたら、割と燃えるかもしれません。

競争するのは問答無用で好きなので。


ただもっと本質を突き詰めてしまうと

それよりかは、勉強という経験値をもってして

自分というポケモンの能力値アップをさせた方がいいのではないか、

と大真面目に思っています。

どこにもいない唯一のポケモンが、自分ですからね(笑)

レアポケモンはすでにゲットしてるんですよ、自分という名の(笑)


最近は、平和について考えることが多くなったのですが、

まさにそれを反映している状況がこのポケモンであるなと。

世界は、相当平和です。こんなことやって楽しめてる時点で。

少なくとも先進国においては。

めちゃめちゃ感謝することですよね。

この時代に来るまでに、どれだけの殺戮と聖戦が行われ、

和平を成立させるための契約が考案され、破棄されまた再締結してきたか。

「国ごとゲットだぜ!」

つってモンスターボールの代わりに

兵器をぶちかまして、勝利国が戦敗国を植民地化してたのが、昔ですからね。

スマホ内で完結して遊べるようになったのは、本当にもう、その頃からしたら、心の底からよかった、ということです。

人命を損なわずにある程度の支配感覚や、自尊心、あるいは承認欲求を満たしてくれる。

それほどまでに進化した現代に、今私たちは生きているということはものすごくありがたいことで、

明日もカレーを食べて、何もなく過ごし、「ああ、疲れた」なんて言って帰路につくのは

極上の幸せです。

でもさっきの、勉強によって知識というレアポケモンゲットした方が、多くの人にとって楽しいのは間違い無いんですよ。

上に指をスワイプするだけでゲットしたポケモンよりも、

めんどくさいですが、本気で考えたら、勉強して手に入る知識というポケモンの方が面白い。

勉強っていうから堅苦しいのかもしれないですね。

なんか、もっと楽しいいい方にすれば、もっと多くの人が勉強が楽しい、という世界が作れるのかもしれない。


ここでの学びは、人には「わかりやすく提示してあげる」のが大事ってこと。

わかりやすいんですよね、おそらく。あれだけ流行ってるのは。

すべての感覚がわかりやすく作り上げられているのが、ポケモン。

思考ストレスがないんです。で、スピード感がある。

おそらく開発者であら想定しなかった奇跡的な構造が、このポケモンの中に存在していて、

それが人間の感性を否応なしに刺激している。

勉強というか、読書とか知識を得る行為も、もっとわかりやすく価値を提示できれば

違ってくるのかも。

とまあ、勉強カフェやってる側の視点でございました。


8月は、大きく動き始める予感がしています。

そのための準備を抜かりなく行っておこう、と思います。

いつ、「その日」が来てもいいように。

逆に、「その日」が来たならば、生活は激変します。その時からは、また時流に飲み込まれるように行動の制御がきかなくなる可能性すらあります。

望んでいることではありますが、導かれたような感覚にもなります。

つまり、その日を迎えるのは必然であったかのように。

意思を持って迎えたような気がしても、意思とは無関係に突然やってくるものかもしれない。

その船に乗るかどうかは、自由。

自由ではあるが、その船に乗るのをためらっているうちに、出航し

エデン行きはもう来ないかもしれない。

つまりは、方角を決めること。

そして、行けない場合の辛さも考えて、できれば知っておくこと。

そうすれば、そこに向かえる嬉しさは倍増する。

ブログを使ってアウトプットを行うことが、大切のように思えてきたので

学びや日々の思考、そしてちょっとした楽しかったことなどをアップしていくことにしましたので、

また見てください。

kousukearai

投稿者プロフィール

1987年3月18日生まれ。魚座、B型。
群馬県館林市出身。
國學院大学文学部卒業。現在、大阪・梅田在住。
株式会社ARIAという会社で勉強カフェ大阪本町/大阪うめだを運営中。
向上心ある大人たちが気持ちよく過ごせる空間作りを日々探求中。

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