「小善は大悪に似たり 大善は非情に似たり」

私は、批判を浴びたりあらぬ誤解や評価を受けることを恐れていました。

認めざるをえない事実です。

そんなことにビビってない、と思っていましたが、

心のどこかで、気にしていました。

しかし、今回それでは大善をつかめないことを確信いたしました。

「小善は大悪に似たり 大善は非情に似たり」という言葉の真意が少しだけわかるようになってきました。

すべては綺麗事の中で成り立っているわけではない。

つまり、

大善を目指すのであれば、非情と思われることを前提で動く。

それらを包含する器を手に入れよう。

聖人君子で居られることに憧れを抱いておりましたが、

少年漫画の見すぎなのかもしれません。

ただし、純粋な思いはより強化されました。

誰のせいでもなく、選択を続けた結果の現在。

自らの意思です。選択とは、やらされた、誰かに決められた、と

言っても、最終的には自分の判断でやっているのです。

今の世の現状、身の回りを憂いても、それらは嘆くことでは解決されず、

意思ある行動の基に、初めて変化を見せるのです。

大人になるということは、全体から判断し、

多少の痛み、誤解や批判を受けいれること。

関わる人が増えることは、基本的には楽しくなる面が多いので、いいこと。

しかし、その分、発信したり自分主導で動いたり、挑戦を続けていけば、

必然的に、自分に対して何かと好き勝手言われる場面が増えます。

有名な人とか、悪口を書くだけの掲示板とか立っているのですごいと思います。

しかし一方で、それは影響力の証明なのかもしれない。

批判を浴びるということは、影響力だ。

全員に、一人づつ、出来るだけ丁寧に説明すればいいのでしょうが、

物理的限界があるので、

批判を背負って生活していくのです。

いや、背負うなどはおこがましいかもしれない。

完璧な人間などいないのだから。

当たり前。

だから、最近は政治家に対して、尊敬の念を抱くようになりました。

もちろん全員ではありませんが。

首相とかも、権力を持つことはできますが、

それと引き換えに自らの身に浴びせられる

世の不満たちは、受けきるだけの器や、大いなるビジョンや使命感がない限り、

割に合わなすぎる役目と考えるようになりました。

だから、何を言われようが本気で変えようとした、大阪前市長の橋下徹さんとかは、

身を削り、大阪都構想など、

生半可なビジョンでとどまらせず具体案を提示して、現実を変えようとしていたのは

問答無用のリスペクトに値いたしました。

大善をつかむためには、非情と思われても、致し方なし、

それを受け入れることができるかどうか。

どうにか、全員が納得し、誰からも文句の出ないやり方を目指そうと思いましたが、

それは寝言であった。

国民全員が納得した国家が今までなかったことを歴史が証明している。

常に、最大多数の最大幸福という視点で形成されていた。

理想国家には、見えない負担もある。

デンマークであれば、幸福度1位である高福祉の背景には

消費税25%の背景があったりする。

完璧主義は時にもろく、不完全主義=7割の完成でよしとする、

の方が持続性は高い。

だから、バランスを見て舵を取っていこう。

本当の推進力は、ここにあって、誰かから理解されるという一時的な

安らぎはないけれども、それが大善の方向をたどっているなら、

太陽が迎えに来ることもある。

自分を信じる=自らの態度を改める

というのは、一時的ではなく、持続の結果であり、

それが習慣となり、運命になるとマザーテレサが言っていました。

船の先に何があるか、それだけ見逃さないことです。最近のテーマです。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
kousukearai

kousukearai

投稿者プロフィール

1987年3月18日生まれ。魚座、B型。
群馬県館林市出身。
國學院大学文学部卒業。現在、大阪・梅田在住。
株式会社ARIAという会社で勉強カフェ大阪本町/大阪うめだを運営中。
向上心ある大人たちが気持ちよく過ごせる空間作りを日々探求中。

この著者の最新の記事

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

アーカイブ

ページ上部へ戻る