疲れるほうがいいのではないか?説

最近のテーマがあります。

それは「いかに疲れるか?」

というものです。

これだけだと意味を把握しかねると思いますので、解説いたします。

私は、疲れないほうがいい、できるだけ疲れたくない、と思って生きておりました。

しかし、「実は疲れたいのではないか?」という仮説が浮上しました。

それは、「忙しい、大変だ」と言いながら過ごしている人たちを見て、

もしかして、彼らは「忙しいことは嫌だ」と言いながらも、心のどこかでそれが

精神的充足感につながっているのではないか、と思ったことがきっかけです。

毎日、嫌だ、と言いながら過ごしている人も、実はその「いやだ」と言いたいだけなんじゃないかと。

ちょっと雑な説明ではありますが、

そういう自分を、心の奥底で求めている、ということがあると思うんですね。

だから、潜在意識を変えるというのがとても大切であります。

私は、エネルギッシュに、日々、パワーを出し切って生きていたいと思っています。

それは、つまりその日を全力で過ごして、ぶっ倒れるほど疲れて、爆睡したいということであります。

バリ島に住んでいる「アニキ」と呼ばれる人がいるのですが、

その人が、白目むくほど全力でやって爆睡することが死ぬほど気持ちいいから日々限界までやっている、

みたいなことを言っていて、それを聞いたのはもう何年も前ですが、

「確かにそうかもしれない」とその時思ったのです。

7時間寝ればだいたい回復するので、寝てる時間以外は、すべてに精一杯向き合おう、と考えました。

目の前に人がいるなら、目を見開いて耳をかっぽじって心をオープンにして、その人のことをまるで

世界で唯一の人類であるかのように接する。

やることがあるなら、それを自分史上最速で常に仕上げる。

決めたルーチンがあるなら、めんどくさくてもすべてやりきる。

そうすることで、「疲れることができる」と思ったんですね。

一日が終わって疲れていない、ということは、まだやれた、ということなんじゃないか、

という逆説的な思考に到達しました。

これを考えてからは、疲れてもいいんだ、と思ってとても楽になったし、

もっともっと、やりたいことをやるためにすべてをやろうと思えるようになりました。

だから私は、疲れることが日々の充実に直結していると、現時点では考えています。

一つの、生活基準になり得る話です。というわけで今日も疲れるまでやります。

kousukearai

投稿者プロフィール

1987年3月18日生まれ。魚座、B型。
群馬県館林市出身。
國學院大学文学部卒業。現在、大阪・梅田在住。
株式会社ARIAという会社で勉強カフェ大阪本町/大阪うめだを運営中。
向上心ある大人たちが気持ちよく過ごせる空間作りを日々探求中。

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