ニルバーナに出会った時の衝撃は蔦屋書店のこのことだったのか
- 2016/4/5
- BOOKS
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街には桜が咲き始めました。
私は先月29歳になりました。
MR(医薬品営業)を辞めて、勉強カフェにご縁をいただいたのが24歳の時だから、もうあれから5年近くが経過したことになります。
当時は勉強カフェの田町スタジオ(3店舗目)が出来たばかりで、これから、勉強カフェを世の中の人にたくさん広めてやるんだ!とワクワクしているところでした。
今では20店舗目がオープンしようとしています↓(勉強カフェ日本橋茅場町スタジオ)
https://www.benkyo-cafe.net/studio/kayabacho/
ということは、5年で17店舗増えたことになります!
思ってたよりペース早ッ(笑)
当時の思いを振り返れば、この今はとてもワクワクする未来でした。
では今後5年間はどうなっていくのだろうか?
そして自分は何を使命としていくのか。
まず、確実に勉強カフェへの追い風は来ると思っています。
理由は、モノより体験の時代になってくるからです。
そして人工知能、IoTにより自動化が進み、人だからこそできること、「人」にどんどんフォーカスが当たっていく時流になる。
一人でベンツに乗り飛ばすよりも、誰かと一緒に時間を共有すること(例えばカフェに行って話すだけでもいい)に価値が感じられるようになります。
便利が便利を呼び、ロボットができることはすべてロボットに任せて、生活を楽にして、人生は「楽しく」する流れになります。
では「楽しく」ってんなんだ?
「楽しい」は感覚であり、所有したことよりも、即ち体験です。
自分は、「人間だ」と実感したい=できないことができるようになること、誰かと話すこと、もその一つです。
ロボットだらけの世の中になり、では人の心もロボットになっていくのか?
ここに、人間は本能的に反抗するはずです。
私は、ロボットじゃない、人間だ、と。
ゆえに、人々は「確かな感覚を得ていくこと」と「生活すること」を同義にする。
この流れが
「知らないことを知るようになる勉強という知的好奇心を満たすこと」
「交流会などで勉強仲間と知り合える」
「セミナー・勉強会を受講して普段の勉強以外の学びも広がる」
を軸に据える「勉強カフェ」は「確かな感覚を得ることができる」という意味で、時流に乗ると考えています。
ただし、この「時流に乗る」は楽観的な意味で述べているのではなく、
この時流に乗れるかどうか、は、本質的に「勉強カフェ」がその持ちうるポテンシャルを発揮しきれるかどうか、にかかっています。
ここは運営する私たち次第といったところであり、本気で
「勉強がはかどる」
「勉強仲間ができる」
を追求していき、結果を出し続け、実際にそれを利用いただく会員様からも認めていただけるようになる、ができたら、です。
日本は、いや世界は、今と比べてもっと異質なコミュニティによって構成されていくことになるのではないかと思っています。
ネットの普及で、対面のコミュニケーションの頻度が下がる。
その場所が減る。
顔の見えない会話が増える。
一方で、「勉強したい」と思う人は、人類の流れ的に増えていくと予想しています。
なぜなら、物質的豊かさの果てにあるのは「自己実現」だからです。
マズローの5段階欲求説でも言われています。
ここでいう「勉強したい」をもっと詳しく言うと「快適な勉強生活を送りたい」です。
「勉強場所が欲しい」よりも「勉強生活を送りたい」に
シフトしていきます。
「場所」から「生活」へのシフト。
この言葉のニュアンスの差は、小さいようで大きい。
ただの「場所」が、「生活」になる。
ここに、「生活」という感覚が付加されています。
「快適な勉強生活を送りたい」に、対面のコミュニケーションを提案する「勉強カフェ」であれるならば、
人々の生活の中に、勉強カフェは根付くことができ、
「確かな感覚を得られる場所」として、社会のインフラとして、機能します。
勉強カフェが地域のコミュニティの一環になる世界もあるんじゃないかとすら考えています。
国が勉強カフェを必要としてくれるような。
地域全体を盛り上げる、一つの機能としての「勉強カフェ」
「快適な勉強生活を送りたい」と考えた大人が通う場所の選択肢の第一候補として。
そこに対して、私はもう一歩踏み込んだことをしていく必要があると思っています。
今までは「勉強場所」がありますよ、という受け身でよかったのが
そうではなく、
これからは「勉強生活をどのように送りたいですか」という、その人によりカスタマイズされた、一歩踏み込んだ「提案」です。
「提案」というのは言い換えれば「デザイン」
その人の人生を、「デザイン」する、その一部は「勉強カフェ」でも可能
飛躍しますが、「ライフスタイルデザイン」
は勉強カフェを追求する上で、しっくりくる言葉かもしれないな、
と。
まだ、追求の過程であり、本質に迫っている途中ではありますが
「勉強カフェ」の持つポテンシャルはそんなところにもあるのではないか。
この言葉は、「蔦屋書店」の創業者増田宗明社長から拝借したものですが、
例えばあるロックバンドがニルバーナを聴いて、価値観がぶっ壊れた時の衝撃のように、私の目に飛び込んできた彼の著作
「知的資本論」
は、ロックバンドのそれと同じでした。
増田社長は蔦屋書店を
「本を売るのではなく
本の中に表現されたライフスタイルを売る書店」
と表現しています。
勉強カフェも
例えば
「勉強場所ではなく、その方の人生で表現されようとしている生活を提供するカフェ」
なんだ、と。
個人的な想いが乗っかっている部分がだいぶあるかもしれません。
「地域活性化」みたいなものに、興味があるんですね。
人々の生活が送られる地域を、より快適にデザインしていく過程に。
そういう意味で、その機能を「勉強カフェ」が担うことを追求することは面白い。
その延長上に、例えば建造物などもあります。
この建造物ではどんな人が生活をしていくのだろう、と想いを馳せるのは面白い。
旅の面白さもそこにあり、海外に行きたいのもそのため。
一番楽しいのは、初めて行く時。
降り立ったその場所では、どんな生活が送られているだろう
この書店ではどんな会話を店員として、家に帰るのだろう。
この店のタピオカジュースは、なぜこんな好かれているのだろう。
そんなことをめぐらしていくと、めちゃめちゃ楽しいわけです。
で、
海外に行かなくても、そのポイントは勉強カフェにまさに表現できるじゃないか、と。
旅の面白さは、人のアイデンティティに触れることだから、
勉強カフェに来ていただくことが、まるで旅のそれのように、
そんな風に表現していけたら、超楽しい世界になるんじゃね?
って思いました、
とさ^^
完
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