
勉強カフェでは勉強仲間とのたくさん、つながるきっかけがあります。
が、最終的にその人のコミュニケーションスタイルによって知り合いが増えていくので、
誰でも仲良くなってもらうようなお約束できません。
だって、強制的に仲良くするのは、嫌じゃないですか?笑
そんなのは、面白くないですし、誰も得しないですよね。
なので、ある程度コミュニケーション作法をわきまえてないといけないんです。
ただし、それだけで終わるわけじゃない。
いくらでも、失敗してもらって結構なんです。
仲良くなれなかったとか、うまく自分を表現できなかった、とか、
それでいいんですよ。
新たな発見ですよ、それ自体が。というか、仲良くしなきゃいけないなんてこともないわけですよ。
そこで、自分のことに気づいて、修正点だと思えば修正をかけていけばいい。
今日、その日、この広大な地球上でその人と話せたことは進歩なわけですから。
奇跡だと思って受けとめてください。
それで、人見知りの人にはたくさん失敗してもらいたい。
失敗するのが怖い、
なら失敗してください(笑)
とにかく、人とたくさん触れてみる。
そこがスタートなんです。人のことを知って行く。
さらに、誰かのことを知る、ということの最終地点は、結局自分の新しい一面を知ることなんです。
自分は以外とこの話題についていけない、とか。例えば。
私は、小学校2年生ぐらいまで、友達が一人もいませんでした。
テレビゲームが楽しすぎて、
人も含めそれ以外のことに興味を持てなかったのもありますが、どちらかというとびびってたのかもしれません。
人はゲームのように数値化できないので、どういう反応が返ってくるかが予測できないのが、
怖かった。多分。
しかし、それでも人に触れ合う機会を強制的に学校というシステムで与えられ、いやでも触れていくうちに
「逆に面白い」と思うようになりました。
ゲームって極めちゃうとその先がないから、最終的に刺激がなくなって飽きちゃうんですけど、
人というのは、正解がないから、「何が待ってるんだろう?」という感覚で接すると、予想もしない答えが
かえってきて、「なるほど、そうくるか」の連続で、発見だらけなんです。
発展させていくと、こんなに楽しいゲームはない、とも言い換えられました。
ずーっと、発見し続けていくわけですから、一度楽しめてしまうとその後ずっと楽しくなります。
で、勉強カフェで実現したいことの一つは、その、人見知りのような人でも
コミュニティに入っていく、「きっかけ」が常に用意されている、ということ。
仲良くなれるかどうか、というのはわからないです。だって、その人同士の相性ですから。
というか、仲良くならなくていいんじゃないか、とすら思ってます。いや、仲良くなれればそれに越したことはないんですが、
仲良くなることにそんなに価値を置いてなくて、人を無視しない、そのことに価値があると思ってます。
無理して取り繕わずに、自然とその人がそのまま居ることができる、その心地よさってあると思ってます。
仲良くなれたら、ハッピー、仲良くなれなければネクストチャレンジ、それでOKです。勉強カフェの中では。
だから仲良くなれるかどうかは自分で見つけていきましょう、ただし、「きっかけ」は常にありますよ、
というのが勉強カフェのスタンスです。
あとこれは、勉強カフェ関係なくて個人的な想いですが、
全員フラットであることがとても好きです。
サウナとか好きで、よく行きますが、
阪神戦で一喜一憂してるようなおじさん、暑さで究極に熱しているネックレスをそれでも外そうとしないチャラそうなにいちゃん、
全身に刺青入ってるヤク◯の親分とその舎弟、そして自分が、サウナのテレビに映ってるバラエティ番組見て、
その場所で一緒に笑ってるんですよ。全裸で。
本来、人間てこれだよな、って思うわけです。
同じように、面白いことがあれば、ただ、笑う。
そこには普段何やってるか、なんて関係ないし知る必要もなし。
旅での、その時だけの出会いの心地よさに近いですね。
毎日出会い、毎日別れる。明日以降もずっと続いていく関係かどうかは知らねー、
でも出会えたらラッキーだなー
って思ってるくらいが丁度いいです。個人的に。
出たり入ったり、自由にできる感じですね。いつでもこれるし、いつでも旅立てる。
だからこそ、その日に話せることは、貴重な感じがする。
受けれ入れてくれるコミュニティがあるってだけで、それは救われることもあると思うんですよ。
旅の合間の宿場みたいな。
そういうサードプレイス的な側面も、勉強カフェの中で追及してみたいな、と考えています。
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