限界費用0社会という言葉を聞いたことはありますでしょうか。
あらゆるものの調達、実現コストが限りなく0に近づくという社会の到来ということです。
わかりやすくいうと、
例えば昔は地球の裏側=日本で言えばブラジルの人に、
「おはよう」という文字を見せようとすれば、
「おはよう」という文字を紙に書き、飛行機に乗って、たくさんのコストをかけて
ブラジルまで行って「おはよう」という書かれた文字を見せる、ということで達成されました。
しかし、今現在、その人宛てにおはようとメールを打てば事足ります。
つまり、このことが限界費用0であり、こういったことがあらゆる面で起き、
その流れが加速します。
一番、私がここ最近で実感した大きな衝撃は、
YouTubeです。
今日、私が動画を撮影すること自体もスマホの機能で「無料」、さらに世界中にその日のうちに、YouTubeにアップロードすれば配信も「無料」でできる。
ものすごいテクノロジーの進化であります。
これは、生産性の向上とも言い換えられ、この行き着く先は
「共有型経済(シェアリングエコノミー)」です。
生産性の向上は、資本主義の正義とされていますが、
実はこれが行き過ぎると、雇用を減らす結果になり、総生産はピークを迎えた瞬間に
下降線をたどります。
よく言われる話ですが、人工知能(AI)を筆頭に、テクノロジーに雇用が置きかわります。
ここから、生き残りをかけて、今のうちからテクノロジーに置き換わらないスキルを取得しようという議論展開になりがちですが、
今回、私がここで発信したいのはそうではなく、「めんどくさいことを全部、テクノロジーがやってくれる世界になったらどんなことが起きるのか?」
ということです。
総生産が下降線をたどる、というのは、総合的に生まれた価値が低下しているわけではないのがポイントです。
総生産というのはあくまで、貨幣価値としての基準です。
現在の資本主義の指標である、GDPの値では、はかれない価値が生まれます。
シェアリングしている時、そこには貨幣価値では示せない、「何か」が生まれています。
これらを図る指標がまだないのです。
よって、資本主義から新たな展開を迎える「共有型経済」が到来します。
「お金を稼ぐ」ではなく、「必要なものにアクセスする」
という感覚が、世界中を包み込むでしょう。
所有が意味を持たなくなり、
テクノロジーによって高度に設計され、人間の生存可能性をコスト0で究極までに高めた社会、
この中で暮らしていくのです。生存競争という言葉がなくなる。
すごーくシンプルに言うと、ロボットが世話してくれる、ということです。
今、世界中で余っている食料廃棄物を、貧困地域に分配できたら?
売れ残ったすべての生活嗜好品を、世界に分配できたら?
世界中の需要を満たすだけの物質が現在余っているかはわかりませんが、
生産性を高め続ければ、いずれ余る世界になります。
その時、瞬時に分配され、必要としているところに余剰物を届ける仕組みが設計された時、
世界は本当の共有型経済を迎える。
これはテクノロジーに救われた平和だ。
産業革命以来の、テクノロジーによる大イノベーションが世界に到来し、
共有型経済に時代は突入した、と100年後の教科書には載っているかもしれません。
さらに、そうなってくると、「持続可能性」が議論に上がってくるわけですが。
物質的な充実は、分配によって可能でも、
天然資源物の枯渇には逆らえない。
今度は、全員で地球を守っていくという、持続可能性危機という展開になるかもしれない。
もはや、地球上内で争っている場合ではなく、敵は未知の領域=地球をどれだけ続けさせることができるか、に焦点は絞られる。
太陽の代替えは可能か、オゾン層の代替えは、石油はどうなる。
ミサイルや空爆をぶっ放しあってる世界は、太陽の存続性を心配した時、何の意味も持たなくなります。
話は逸れましたが、そのような持続可能性危機の前段階に、共有型経済が到来する。
その時、人は学びの価値を最大化するはずであるというのが持論です。
なぜなら、結局知ることこそが最も高尚な遊びであるからです。
知りたかっただけの繰り返しであると思う。歴史は。
だから、学び、触れ合う場所が今後必要になる。
それを、世界が求める。
今から長い時間をかけて、ちょっとづつ作り上げるのだ。
これらの話について深く知りたい方は、⬇︎の書籍がなかなか面白かったです。
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