
今、一人〇〇をする人が増えていて、「おひとりさま女子」とかそういう言葉もできているくらいです。
たまに、一人で〇〇するなんて、ありえない!!という方もいらっしゃいますが、
私は、一人を楽しめるタイプなので、そういう意味で時代の流れに適合している存在です。
もともと、子供の時から
TVゲームをひたすらやってりゃそれ以上の幸福はないと確信していた人間ですから、
この時代の潮流に無意識のうちに沿っていたことになります。
特に、「一人スーパー銭湯(温泉)」は、私の中で、神聖なる時間であり、誰にも干渉されない唯一の時間といってよく、
もはや趣味の領域を超えて、呼吸並みに必要な、己と対峙するための内省タイムであり、
今後一生続けていく「一人○○」です。
先日、「TOHOシネマズ」という梅田にある映画館に、「一人映画」をするために初めて行きました。
ちょうど美女と野獣の実写版が公開されていたので観てきました。
元中日ドラゴンズ監督であり、史上初の三冠王を3度獲得した落合博満氏も、
高校時代、野球に行き詰まると、その時間は毎回一人映画の時間にしていたらしいです。
そこで、野球では得られない様々な世界を感じた、というようなことを言っていたんですね。
落合監督のその一節を読んでから、より映画に対する興味が深まったのです。
私は、あまり映画館に行ったことがありませんでした。
行ったとしても、相手がかなり行きたがる時に行く、というパターンしかありませんでした。
一番最近の記憶を遡ったら「色即ぜねれいしょん」という、銀杏BOYZが見たいだけで行った映画でしたw⬇︎
2009年の公開となっているので、8年間映画館に行ってなかったことになります。
なので、新鮮でした。
映画自体も面白かったのですが、ひたすら没頭したい時に、
この一人○○というスタイルは有効だと感じました。
つまり、「誰かといることを楽しむ」のではなく、
「コンテンツ自体を楽しみたい」という時に、良い選択肢である、と結論づけました。
例えば「カラオケ」も、誰かと行くと、「その人の歌が聴ける」「歌うと、リアクションがある」「それをきっかけにまた新たな会話が生まれる」などの、
「誰かといることを楽しむ」側面があるわけですが、
それはそれで楽しいし、良いのですが、単純に「歌いたい」の部分を満たしたい時に、
「一人カラオケ」が解決策として、世の中に存在し始めたのです。
つまりこれが、先ほどの「コンテンツ自体を楽しむ(ここではカラオケ機器を使って歌うことを指す)」にあたります。
これは、時代の進化で、「コンテンツ自体を楽しめるようになった」と言い換えられます。
一昔前は、サービスがパーソナライズ化(=個人用にデザインする)されていないものばかりだったので、
どうしても数人で行った方がコスト的にも抑えられたり、そもそも雰囲気的に場違いになってしまったりしたのです。
「焼肉」も「一人焼肉」が出てきたことで、一人で楽しめるようになった。
「カラオケ」もそうですし、「ディズニー」とかもそうだったりする。
これは、「余暇時間の選択肢」が増えたことを意味します。
よって、一人の時にできることが、たくさんあるということで、
その日のその気分によって、選べるようになったのです。
ここからが本題ですが、
その中の選択肢に、確実に「勉強(読書)」が入ってきます。
どういうことかというと、映画も焼肉もカラオケも、行くつく先は「感覚の変化」なのです。
映画を見て、楽しい、感動する。
焼肉を食べて、美味しいと感じる。
カラオケに行き、楽しいと感じる。
これらはすべて、感覚の変化であり、その一部分は代用可能なのです。(もちろん、すべての部分が代用可能ではありません)
それらの「楽しい」を「映画による臨場感」で得る代わりに、
「知らないことに触れる」「より深く理解する」という勉強行為に変換するという意味になります。
勉強という行為は、手軽で楽しめるのです。
かつ、将来の投資にもつながるというおまけも付いてくる。
だからいいのです。
スマホがあれば、いくらでも何かの知識について調べたり、今は動画で講義を受けたりもできます。
もちろん、本があればじっくり読んで知る事もできる。
「余暇時間の選択肢」に、
「勉強」が入ってくるという意味が何となくお分かりいただけたのではないでしょうか。
ではその「勉強」をするのに、最も効率的な場所、存分に楽しめる場所はないのか?
「カフェ」という選択があるが、より勉強に特化させる必要が有る。
→その質問を時代に問われた結果、生まれたのが「勉強カフェ」
と、分析いたしました。
よって、勉強カフェはパーソナライズ化を求められた、時代の問いかけに答えていく必要があり、
そこにコミュニティ要素を付加させていく義務があります。
なぜなら、「お一人様」は、集合体になることで「お一人様」ではなくなるからです。
「お一人様」を楽しめる人たち、は価値観が合うから「お一人様」ではなくなった時に、
新たに楽しくなる場面が生まれるのです。(お一人様、でいる理由が、もしや会社と自宅以外に居心地のいいスペースがないからではないのか?そんな風にも思われます)
これらのことから、勉強カフェというのは、社会的・新・「お一人様受け入れ先」になり、
この人たちの人生をトータルでサポートしていく。
いや、この「サポート」はもう古い。
「共創」=「コ・クリエイティブ」
ともに、場を作り上げていくのだ。
私たち勉強カフェは、挑戦すべき勅命を受けたのでしょう。
だから「最上級お一人様むけサービス」になってやろうと考えています。
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