ミニマリストへの道

最近、急激なライフスタイルの変化を経験しました。

体が、断捨離=最小限のもので生活することを欲し始めたのです。

引越しをしたということも大きかったのですが、

そのタイミングで、今まで大事に持っていたいろいろな使わないものの

ほとんどを捨てることに成功しました。

今、部屋には最低限度のものしかありません。

持っていたCD、本、服を始め、売ることすらも面倒だったので

一気にゴミに出しました。(というか、むしろ捨てるのにお金取られました><)

結論から言うと、非常に快適です。

やってよかったと思いました。

目覚めもなぜか良くなった気がします。

自分たちは、選択肢の奴隷になっているのかもしれません。

だからこそ、選択肢を極力にまで排除し、本来求めていることに集中する。

スティーブジョブズが黒いロンTしか着ないのも、そういう理由があったらしいです。(ソース不明)

勉強カフェが、時代にもし評価されていくとしたら、そこも一つ大きい概念だと思いました。

勉強場所を、家に確保する必要がない、コーヒー・ドリンク類も勉強カフェで飲めばいい、ネット環境も勉強カフェで揃っているから、

作業もカフェでやればいい。

あくまで家は、リラックスしてその日の終わりの体をオフにする場所、

そういうような位置づけに成って行く。

本能的に、ものを捨てまくったのですが、今それを「ミニマリスト」と呼ぶらしいですね。

結果的に流行りに乗っかるような形になりましたが、

周りの人に聞くと、このブームは多くの人の中で起こっている感覚的現象みたいですね。


では、何に集中するのか?

私の場合は大きく捉えると「勉強」です。

余剰時間、体力の持つ限りその全てを新規知識の取得、拡充に充てていく。

なぜなら、勉強カフェが時代の一部になる時、背景に運営側の大きな理解が必要だからです。

理解、というのはその世界構造です。大きく言うと。

小さく見ていけば市場周りの構造分析=どのように人は流れていくか。

まあマーケティングやブランディングといった経済用語で言い表せられるようなものですね。

それらを中心に、日本の文化から、孫子の兵法に代表されるような戦略立案も入ってきます。

とにかく、新時代の幕開けに勉強カフェという表現方法を用いて、太陽を迎えに行くには、今の私の知識量ではあまりに脆弱すぎる。

勉強カフェの会員様と接しているので、「勉強」を世の中にこれだけ多くの人がしていることを、毎日実感する身でもあります。

そして、恐れ多くもあります。なぜなら、私の勉強継続可能時間が、物足りない。

1日8時間もやると、なかなかその日には新たに知識が頭に入らなくなってきてしまうのです。

例えばあの有名な堀江貴文さんは、東大E判定から、合格するまでの間、トイレと風呂・睡眠以外の時間のほぼ全てを勉強時間に充て

115時間の勉強継続によって、試験の半年前は模試E判定でありながら、東大合格を果たしたのです。

勉強カフェの会員様の中にも、平日は仕事をこなし土日のほぼ全てを勉強時間に充ててらっしゃる期間もあり、普通に土日ともに10時間以上勉強されている方も。

やる側になった時に、本当にすごいなと思います。いや、マジで。

なんであんな集中し続けれられるんすか?そして仕事終わりも、普通に勉強しまくっていらっしゃる。

頑張ります、私も。

そんな勉強カフェ会員様がたに敬意を表しながら、一プレイヤーとして先導する身でもありたく、

知識補填へどれだけモチベーションと体力を注げるか、これを知りゆく日々を送ろうと考えている現在です。

しかし、「勉強」という行為は習慣化したほうがいいな、と何を今更と思われるかもしれませんが、

改めて思いました。


時間の使い方、お金の使い方が

「消費」か「投資」か、というくくりで最近ざっくりと判断する癖がついてきたのですが、

できるだけ「投資」=将来の価値に変換される可能性を持つもの

に割く方が現時点ではいいな、と思われ、

「勉強」は紛れもなく投資だからです。

「勉強」した知識は、目に見えなくとも、確かにその脳内に集積されていきます。

どっかで聞いた感銘を受けた言葉があるのですが、

全ての財産がなくなっても、自らの中に介在する「知識」という財産だけは何者も奪うことはできない

細かい部分はあってないかもしれませんが、意味的にはそんな感じです。

この言葉をベースに、何をやるにしても

「投資」であることが大切だと、未来志向の私は思うようになってきました。

その思考スタイルはストック型=消費比重<投資比重であることが、最終的に身を助けると考えているからです。

ただし、消費を悪としすぎる考えは危険であり、消費なければ経済も回らず・また瞬間的快楽も人生の醍醐味でもあるため、

バランスを考慮するという意味

今ある果実の実を、うまいからと言ってすぐに食べるのではなく、土を耕しその種を植え、栽培し育て、実った果実からの種をまた植え替える。

その繁栄を周りへも共有し、全員で種を育て続ける。

勉強というのはつまり、「知識」という「資産」をストックしていく行為です。

例えばB/S(貸借対照表)を自分に置き換えた場合、「知識」という資産価値は勉強時間という資本に沿って増え続けていきます。

借入金なしで。


だからこそ、昔から世の賢人たちは読書をしまくって居るのだとわかりました。

このシステムは、ある種すごすごぎるんですね。

資産を増やせるんです。ただ、勉強するだけで。

やるか、やらないかの違いだけです。そこにあるのは。

この構造に気づいてからは、もはや「勉強する」とはえらい行為でもなんでもなく、

単純に、本当に自分のためになるからやるものだ、と考えかたが変わりました。

だから、子供を育てるときにはこの構造をまず理解させて、

親の承認=褒める

と云う理由でやるのではなく、その子の人生にとって必要だからやる、と云う自発的理由に変換させるのが極めて大切であると感じました。

だから、勉強しないことは、勿体無いとすら思うようになりました。

せっかく時間があるなら、一つでも多くのことを知りたい。知識をストックしたい。

ミニマリズムによって、しやすくなりました。余計なものに時間を取られることはない。

健康を前提とした

食事、会話、勉強。

があればいい。

勉強の必要性への理解が一歩進み、かつまたその魅力に気づいた最近でした。

kousukearai

投稿者プロフィール

1987年3月18日生まれ。魚座、B型。
群馬県館林市出身。
國學院大学文学部卒業。現在、大阪・梅田在住。
株式会社ARIAという会社で勉強カフェ大阪本町/大阪うめだを運営中。
向上心ある大人たちが気持ちよく過ごせる空間作りを日々探求中。

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